大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる修行道であり、熊野参詣道のひとつ。
大峯奥駈道は、奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートをなす。今日、一般的に大峰山(大峯山)といえば山上ヶ岳を指すが、大峯奥駈道でいう「大峯」とは、吉野から山上ヶ岳を経てさらに奥の山々、そして最終的には熊野三山に至る大峰山脈を縦走する修行の道全体を指している。深田久弥は日本百名山の中で山上ヶ岳から最高峰の八経ヶ岳までの峰々を縦走したことを紹介している。
大峯奥駈 [編集]
大峯奥駈とは本来、大峯山寺より奥の「靡」に進むことを奥駈と云われていた。修行場は「靡」(なびき)と呼ばれ、ひとつひとつに番号が割り当てられている。すなわち、熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)にはじまり、吉野川河岸の柳の宿(75番)に終わる。この大峯七十五靡は75箇所を数えるが、これは歴史的に整理されてきた結果であり、もっと多くの靡が設けられていた時期もある。
順峯と逆峯 [編集]
これら行場を巡る方法には2つの方法が知られている。ひとつは、本宮から吉野に向かう順峯(じゅんぷ)、他方は、逆に吉野から本宮に向かう逆峯(ぎゃくふ)で、それぞれに主宰する宗派が異なる。順峯は天台宗系の聖護院(本山派)が、逆峯は真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)がそれぞれ主導する。中世の熊野を支配し、熊野詣の先達をつとめたのは天台宗系の本山派であり、大峯奥駈についても本山派が先行していたが、近世以降の熊野詣の衰退に伴って、江戸時代から今日まで、両派とも吉野から入るのが一般的かつ正統的なものとされている。ただ、中世の熊野詣を主導した天台宗系による順峯は、那智山青岸渡寺によって復興され、今日でも行われているので、完全に途絶したわけではない。
また、水場が乏しいこともあって、前鬼宿(奈良県下北山村)太古の辻以南の部分(南奥駈と呼ばれることもある)はたどられないことが一般的であり、現在でも大峯七十五靡を踏破する奥駈の行をおこなう寺院は限られている。
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